仙台旅レポート2012GW

見習い小僧

個人的な話になりますが、今年のGWを利用して仙台に行ってきました。昨年4月にボランティアに行って以来、約1年ぶりとなる石巻などを見て来て自分なりに感じた事もありましたので、小僧ブログの場を使ってレポートしたいと思います。

行ったのは仙台市、牡蠣半島、女川、石巻、松島です。1番の目的は、美味しい牛タンを食べる事。更に自分が行ってから1年経った被災地の現状を自分の目で確認したいという思いもありました。以下、地域ごとに自分が感じた事をできるだけ短くまとめていきます。

 

1仙台市
IMG_5612仙台市には昨年4月の石巻ボランティアの後、5月に訪れたぶりでした。そのときもそうだったのですが、市内中心部に限って言えば地震や津波の直接的な被害を感じる事はありません。観光客の増減は見た目にはわかりませんが、牛タンで有名な利久の市内店舗はどこも30分~1時間待ちということで賑わっていました。GWという事もあるのかもしれません。

 

2牡蠣半島
IMG_5511牡蠣半島とは女川から海に突き出した半島の事です。今回その先端の所まで行きましたが、ほとんど更地になってしまっていてがれきなどは無い状況でした。印象深い出来事がふたつあり、ひとつは写真に写っている『途切れた道路』です。引き潮の力ではぎ取られたのでしょうか。「ここを毎日誰かが通ったりしたのかな?」と想像すると、自分の今の日常をもっと大切にしないとと改めて感じました。もうひとつは、海鮮丼を食べた仮設商店街の店主さんが、僕たち5人(5人で旅をしました)が席に着いた瞬間「今日はノルマ達成だ!店閉めようか!」と笑顔でおっしゃっていた事です。それは冗談かもしれませんが、5人で行ってご飯を食べて、それが少しでもそのお店の売上に貢献できて、しかも美味しいって、僕たちはとても素敵な経験をさせてもらいました。食事後に震災当時の様子を少しだけ聞く事が出来、お店に冷凍してあったマグロが全部流されてパアになってしまった事や、奥さんに内緒で貯めていたへそくりまで全部なくなっちちゃったんだよという話に、胸が苦しくなりました。早く復興が進んでほしい。。。というより、あのおじさんがなにひとつ心配事なく笑える日が早く来てほしいと思います。

 

3女川
IMG_5528女川も牡蠣半島と同じく更地のようになっていました。少しだけ残った建物が、当時の様子を想像させます。この地区は海に面していますが、高い丘に建つ女川町立病院の建物は綺麗なまま建っていました。丘を登る階段の手すりは途中までグニャグニャに折れ曲がり、津波がどの高さまで来ていたのかを推測する事が出来ました。

 

4石巻
IMG_55701年ぶりの石巻です。やはり思い出深い土地でもあり、気づく事も多くありました。

(1)微かに残る泥の臭い
そこら中泥だらけだった1年前と比べると、だいぶ綺麗になった石巻市街地ですが、それでも歩いていると泥の臭いがする場所がありました。これは、実際に強烈な臭いを嗅いだ人間しか気がつかない程度かもしれませんが、自分はハッキリ思い出しました。「復興までにまだまだ時間がかかるな」と感じる出来事でした。

(2)そのままの店舗を使う店、取り壊して撤退する店
仕方の無い事ですが、僕が1年前にボランティアで泥出し作業をした店のひとつは、跡形も無く建物が取り壊されていました。一方でそのままの状態で店として営業している(おそらく)飲食店もありました。綺麗に改装して元気にお店をやっているお店もありました。色々な復興の形があって、とにかくそれぞれの道で少しずつ前に進んでいるのだということがとても良くわかりました。

(3)ボランティアはまだ活動している
石巻でYMCAのボランティアチームを見かけました。建物の扉か網戸か窓か?を綺麗にするボランティアのようでした。話を聞く事が出来なかったのですが、まだまだ現地でボランティアとして活躍している人はいるようです。清掃のような仕事はさすがに石巻市街地にはもうないのかな?と思っていたので、少し意外でしたし「まだ活動してくれている人がいてありがたいな」と思いました。

 

5松島
IMG_5605松島は沢山の観光客で賑わっていました。GWという事もありますが、1年前とは大違いでした。お土産屋さんにしても瑞巌寺にしても、国内外問わずに沢山のお客さんで混雑していました。震災以前に行った事が無いので、普段はどうだったのかがわからないのですが。

 

こうして振り返ると、全体として感じたのは仙台~女川周辺の地域だけに限って見ても、元から人気のある観光地である利久や松島といった場所は復興も早く進んでいる一方、まだまだ支援の足りない場所も沢山ありそうだという事でした。格差が大きいという事です。

じゃあ必要な支援ってなんだろう?と考えると、物資とか寄付という直接的なものではない気がしました。勿論それを必要としている人も沢山いるでしょうが、それよりも現地の人が働いて稼ぐ喜びだったり、生き甲斐を提供する事ができないかなと思いました。それを僕たちが出来る事に落とすと、ひとつは現地の人が仕事ができる環境を作ってあげる事(つまりボランティア)、もうひとつは被災地のものを買ってあげる事(あるいは被災地に行って何かを買ったり食べたりする事)なんだろうなと思います。

エントリの結論としては普通に世間で言われているような事になりましたが、それを実体験として感じてこられたということに旅の意味があったと思います。一緒に行った仲間もそれぞれ思う事があったようで、その意味でも行った意味がありました。僕ひとりが出来る事はあまり無いですが、今後も何らかの形で関わり続けていければと思います。また、自身の災害対策も見直さなければと思っています。

長くなりましたが、以上でレポートを終わります。

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