意外と知られていない“テクニカルコミュニケーション”

wakataemi

初回投稿から随分と時間が経ってしまいましたが、本日はエミリーがお届けします。

はじめに

TC book introduction
先日、大学で上図の本を借りました。貸出用にしては年季が入っていなかったという不純な動機です(笑)しかし読んでみると、大学で学んでいることやインフォバーンでのお仕事との交錯点が多く、とても興味深い内容だったので、この場を借りて紹介させていただきます。

テクニカルコミュニケーションについて

みなさんは、テクニカルコミュニケーション(以下TCと表記する)という言葉を聞いたことがありますか? その名前から、TCが「技術的な情報伝達手段」や「情報伝達における専門分野」であることはなんとなく想像できるかと思います。私もこの本を読むまでは、マニュアル制作や翻訳に携わる人たちが持っている知識や技術なのだろうという漠然としたイメージを持っていました。

TCとは、さまざまな形式のメディアを介してターゲットとするユーザーに向け、技術プロセスや製品についての情報を作成、提供する分野のことを言います。この定義からすれば、私たちの持っている先入観もまんざら間違ってはいないように思えます。
TC component
しかし、本書で紹介されていた「米国のTCを専攻できる大学の開講科目(教育)」と「日本のTC協会の活動に参画している人たちの属性(職域)」という2つの観点から、TCの領域についてまとめてみると「TC=文書作成に特化した専門領域」という私の認識は、かなり限定的だったことが分かります。

そこで今回は、TCの技術が実際にどのような場面で活用されているのか見ていきたいと思います。

ユーザーインターフェースの3つの側面

本題に入る前に、ユーザーインタフェース(以下、UIと表記する)について少し触れておきます。
UI component
UIには、感情的・操作的・技術的の3つの側面があります。技術的側面の進歩に伴い、感情的側面と操作的側面は飛躍的に向上してきました。感情的側面と操作的側面の関係について、筆者は次のように述べています。

“ 一定のレベルまでなら、UIの「面白さ」がユーザーの動機付けになり、その動機付けを「わかりやすさ」が受けるという図式が成り立つ。仮に、実際に操作すれば分かりやすく作り込んであっても、一見退屈なUIならば、ユーザーは使う前から心理的障壁を持ち、「面白くない=わかりにくい」と思ってしまうこともある。そういったユーザーを「わかりやすさ」に導くきっかけとしての「面白さ」は評価できる。(中略)ところが、技術を駆使して不必要に「面白さ」を出しすぎた場合、逆に「わかりやすさ」は阻害される。”

この「面白さ」と「わかりやすさ」の重み付けには、私自身いつも難しいと感じているところです。本書でも述べられていましたが、その検討は、ユーザーの行動における対象商品の役割を考慮することに尽きると思います。例えば、マニュアルを読んだり辞書を引いたりという行為は、目的ではなく手段です。同様に、ホームページやECサイトを閲覧するという行為も、ほとんどの場合が情報を得るための手段になります。

しかしながら、最近ではトップページが面白さや美しさだけを表現した動画ぺージになっているサイトをよく見かけます。誰もが一度は、そのトップページを煩わしく思い、「スキップ」ボタンを押したことがあるのではないでしょうか。これこそが感情的側面、技術的側面を出しすぎた結果、操作的側面が欠落してしまった典型例だと言えるでしょう。

デザインをする際には、テクノロジーの押し売りになっていないか、ユーザーはその機能やデザインを本当に求めているのかについて、もう一度検討することが大切なようです。

テクニカルコミュニケーターの役割

TC position
本書で述べられていることを自分なりの解釈で可視化すると、上図のようになりました。つまり、テクニカルコミュニケーターは、モノとヒトをつなぐ架け橋であると同時に、エンジニアとデザイナーをつなぐ役割も担っているということです。

技術者やデザイナーが先走りしすぎたときに、もう一度立ち止まって、UIを考えるところに呼び戻すこともテクニカルコミュニケーターの大切な役割です。技術者が道具をより便利にしようと努力し、デザイナーがユーザーにより楽しく使ってもらおうと考えていると、道具の行き過ぎた人間化やおもちゃ化に歯止めがかからなくなってしまいます。そこで、道具を純粋な道具として捉え、多方面から使いやすさを追及することのできるテクニカルコミュニケーターが必要になってくるのです。

道具の人間化とおもちゃ化

人間を一つのUIとして考えることができるとしたら、これほど有能なUIはないでしょう。筆者は、UIとしての人間のメリットを以下の3つに集約しています。
human UI
技術者にとっての永遠の夢は、人間を作ることだそうですが、もし仮に、上記3つの条件を満たす人工知能UIが実現できたとして、そこにデメリットはないのでしょうか。筆者は以下のことを懸念しています。

“ 知能を持ったUIではシステムがブラックボックス化し、ユーザーにとってはその中で何が起こっているのか見えない。これは、人工知能を引き合いに出すまでもなく、ワープロソフト程度でも既に実現されており、「いったいどうなってるんだ」という経験をしたユーザーは多いだろう。ノーマン(2000)も指摘するように、「どんなに難しくても、ユーザーがそれを自分で制御していると感じるとき、(中略)使いやすくなる」。UIが知性を持ちすぎてブラックボックス化した機器は、ユーザーにとって必ずしも使いやすいとは限らないのである。”

また、ここにデザイナーが介入してくると、人工知能UIに顔をかぶせ、音声で受け答えし、見た目もできる限り人間っぽくしようとします。人間に近づけば近づくほど不気味さが生まれ、さらにはユーザーはその人工知能UIに人間と同等レベルのコミュニケーション能力を求めるようになります。すると、ぶっきらぼうで感じが悪かったとか、好みの顔じゃない、などという人間としての評価を無意識のうちに下すようになるのです。

このような側面を見ると、技術の力を使って人間に近づけることが、必ずしもUIの向上になるとは言えないということが分かります。世間では、自動車の全自動化などの研究も進められていますが、そこには事故が起こったときの責任問題など、技術面以外でのさまざまな課題が残っています。すべてを技術の力に頼ることよりも、機械と人間で役割分担をすることの方が、システムとしての効率性を考える上では重要のようです。

まとめ

日本において、TCという言葉はまだまだ浸透しているとは言い難いですが、テクニカルコミュニケーターを名乗っている人は少なくても、技術者やデザイナーがその役割を兼任してる企業や専門家は、意外と多いのではないでしょうか。テクニカルコミュニケーターは、技術者やデザイナーなどの深い専門性をもった人たちが、幅を広げた派生形なのかもしれません。

今後、あらゆる専門家が細かく専門分化していくと予想されるなかで、TCの動向にも目が離せません。

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